新選組隊士紹介(更新順)

※妄想のほうが多く含んでおります!鵜呑み注意!

 

山野八十八(1841−1910)

加賀大聖寺藩脱藩で、隊中美男五人衆の一人。新選組には文久三年入隊の初期入隊組。
入隊時の年齢は22歳で、愛嬌のある可愛らしい顔、色白、細目、いつもニコニコしていて怒った顔を見せたことがないという。
一番隊所属で、函館までずっと平隊士のまま。
降伏名簿には載ってないので、うちでは土方さんの好意で脱退させられた説を信じてます。
義経神明流という防具無し、頭などの急所連続攻撃の乱暴な剣術を使う。
平山五郎の稽古練習相手で、
平山よりちょっぴり強い剣の腕。
鬼副長、平山のお気に入り、新選組の癒しのアイドル。

函館で離隊。明治に入ってからは小学校の公務員さん。

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蟻通勘吾(1839−1869)

讃岐高松の生まれ。文久三年に山野と同じ時期に入隊、入隊時の年齢は24歳
会津で戦死報告をまちがって出されるが、函館までちゃんといってます。
土方副長と同じ日に戦死したことで有名になったラッキーボーイ。

山野と同じ一番隊に所属し、池田屋事変で活躍したが、それ以外まったく資料なし。
地味で目立たないタイプで、ずっと平隊士。剣はけっこう強いらしい。

山野に憧れてる。いじめられっこタイプ。

明治2年5月11日、函館にて戦死。

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大石鍬次郎(1839−1870)

江戸の生まれ。一橋家臣の家に生まれたが、女性問題(案外プレイボーイっす)で出ていき日野で大工をする。
元治元年入隊、諸氏取扱兼監察で一番隊所属。
池田屋の活躍を聞き、「俺も斬りたい」と思って入隊したとかなんとか。

好きなものは、人を斬ること、血を見ることな危ない男。
「人斬り鍬次郎」と呼ばれ恐れられる。同じ歳の勘吾と意外と仲が良い。

こう見えて家督を継いだ弟想い。江戸に妻子持ち。

明治3年10月10日、坂本龍馬暗殺犯として、斬首。

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平山五郎(1829−1863)

元姫路藩士。花火事故で左目がつぶれている。芹沢派の一人で、裏の鴨の右腕。
芹沢鴨に火を付けてるのは実は平山だと言われてる。
見えない左のほうから攻撃すると電光石火の如く、しかし右からだと隙があるおまぬけさん。

平隊士いじめをしてたりしてたが、山野に一目ぼれしてからというもの大人しくなりました。
山野のストーカーしてたり、デート誘ったり、着替え覗いたり、
そんなに山野が好きか。
山野とは12歳の年齢差がある。

文久3年9月18日、芹沢らとともに静粛。

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池田七三郎(1849−1938

昭和まで生きた新撰組最後の生き残りとして有名。慶応三年11月入隊。入隊時の年齢は18歳。
もともとは上総国の商人の三男だったが、道場からの紹介で旗本の家臣になった。
その二年後入隊し、活躍するぞ!と意気込むが、大石から「お前、局長付小姓な」と任命される。
伍長の久米部正親に強い尊敬心を抱いており、憧れている。
ニ度も銃弾をまともにくらっていて、一度は顔面に銃弾をくらったのにすごい生命力の持ち主。

昭和13年1月16日、90歳で天寿をまっとう。

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久米部正親(1841−1910

慶応元年7月入隊。入隊時の年齢は24歳。
24歳にしてはものすごくしっかりしており、リーダーシップもあり、出世も早い。さすが大坂の与力の息子!
甲州勝沼の戦いで負傷した仲間約20名ほどかかえ、会津への行軍を成し遂げた。(負傷者の中には池田も)
その彼の才覚で、その後同行した隊士たちは全員生き延びた。
とにかく、とても面倒見がいいお兄さん。

降服後は明治政府に陸軍士官する。陸軍中尉。明治43年9月25享年70歳(病死)。

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富才輔(1839−?)

元治元年10月入隊。入隊時の年齢は25歳。四番隊所属。
若くして大坪琉馬術の名手で、慶応元年には馬術師範に任命。近藤さんや土方さんにも馬術を指南したほど。
馬がとにかく大好きで、馬としかしゃべってないような・・・。メモを取るのが趣味。
慶応三年には勘定方になっており、会津戦争では新撰組本隊のリーダー格になっている。
函館戦争では陸軍奉行添役に任命され、土方さんや大鳥さんの身辺で働く。土方さんのお気に入り。

明治6年(1873年)5月28日没とあるが、阿部十郎に殺されたともある。

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楠木 小十郎(?−1863

文久三年に入隊した超美少年。自称17歳。
隊中美男五人衆の一人で、外見は良いが腹が黒い。
実は桂小五郎お気に入りの長州間者で、桂さんに新撰組情報を流通中。
ブサイクが大嫌いで、顔が整ってる人以外はフル無視。山野には結構なついてる。

文久三年の9月26日、間者と原田左之助にばれ斬られる。 

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 立川 主税(1840−1903

慶応四年、甲陽鎮撫隊から参加。三十三歳、町人出身。熱い男。
今でいうブロガー。土方さんを敬愛している日記を残している。
とにかく土方さんのおっかけで、土方さんの従卒。安富とは年も近く、才富の唯一の友達。
入隊は遅いが、新撰組にかける情熱は厚く、信頼をおかれている。

明治になって寺の住職になる。明治36年、69歳まで新撰組の仲間や土方を弔い続け没す。

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河合 耆三郎(1838−1866)

文久三年、山野らと同じ時期に入隊。入隊時、25歳で勘定方。(安富の先輩)
播州高砂の米問屋の長男でボンボン。勘定方だけど、実は剣術が大好きで腕もなかなかだったらしい。
土方さんが苦手で、いつもビクビクしてる。すごく優しくておおらかな人。

慶応二年、公金横領の疑いで斬首。

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沖田 総司(1842〜1867)

知る人ぞ知る、一番隊の隊長。病弱なボス。色黒ひらめ顔。(忠実)
剣は天才、隊士教育には厳しすぎるところがある。子どもと遊ぶのが大好き。
一番隊隊士には彼の言葉は絶対。なのでよく遊びにかりだされる。

慶応四年、病死。

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島田 魁(1828−1900)

文久三年初夏に入隊。美濃出身。入隊時の年齢は34歳。一番隊。
気がすごく優しい力持ち。180センチもあり、150キロほどある巨漢。
甘いものが大好きで、沖田とは気が合い、山野とも仲がいい。
二番隊隊長永倉とは、同門で仲が良く、しょっちゅう一緒にいる

函館戦争では総督守衛隊隊長(土方の身辺警護)。降服後は道場開いたり、西本願寺夜景監督になったり。

明治33年、西本願寺境内にて老衰死。

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林 信太郎(?−1868?)

新選組草創期に入隊。監察。摂津大坂出身。
後に従兄弟の山崎烝の入隊を手引きする。池田屋後は平隊士。
自由奔放、わが道を行くタイプで、なに考えてるのかわからないとよく言われる。
土方副長が唯一苦手とする隊士(理由:テンション高いから)。
甲陽鎮撫隊解散後は永倉新八の靖兵隊に参加し、伍長になった。
靖兵隊解散後は新選組にもどり、函館まで戦う。

※靖兵隊のときに水戸街道で戦死ともあるが、戦後八木邸に赴いて「山崎は水葬にした」と語り
 その後水戸街道で何者かに殺害された…ともある。

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山崎 烝(?−1868)

文久三年秋入隊。監察→副長助勤。摂津大坂出身。
針医の父の技術を受け継ぎながら、色んな道場で武術に励んでいた。
従兄弟の林信太郎に誘われて入隊、監察に配属されると林烝という本名から、山崎烝に改名。

常識外れな信太郎をいつも気にかけており、針を投げて叱る。

監察中は薬屋として任務をこなし、近藤、土方のお気に入り。
斎藤一とはよく手合わせをしていたり、松原忠司とは大坂からの友人だったり。

鳥羽伏見の戦い後、江戸に向かう船中で死亡。

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尾形 俊太郎(?−?)

文久三年春入隊。副長助勤→監察→五番隊隊長。
故郷の肥後熊本では学者をやっていたので、文学師範を務めていた。
常に本を持ち歩き、近藤の秘書的存在。近藤出張の際はいつも同行。
入隊の時から一緒の林信太郎によく振り回されているが、悪い気はしていない。
山崎烝と同じ任務に就くことが多く、林とよく三人で一緒にいてる。

会津戦争後行方不明か、熊本で警察に剣術を教えていたか、斎藤一と共に警察になったか、消防所長になったか。


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尾関 雅次郎(泉)(1844?−1892)

文久三年六月入隊。平→監察・旗役→歩兵差図役
大和国高取藩浪士。高取藩士・尾関文左衛門(雅幸)の次男。
池田屋は不参加。永倉、原田とともに建白書を出した一人。
入隊時は20歳、縁の下の力持ちタイプで、けっこう野生児。
12歳離れた病弱な兄をいつもサポートしている、兄想いのやさしい弟。

函館にて降伏後、結婚し尾関泉と改名。1892年2月28日故郷にて48歳で死亡、兄と同じ墓碑に埋葬されている。


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尾関 弥四郎(1831−1865)

文久三年六月入隊。勘定方、十番隊。
弟・雅次郎のあとを追って入隊。もともと病弱な身体だったため、勘定方に。
高取藩藩士の父のあとを継いでいたが、余命を悟ったのか、自由に生きることを決意し、新選組に。
弟にはいつも体調が悪くなるとおぶってもらったり、看病してもらっているので、すごく感謝している。
慶応元年、松本良順先生に身体を診てもらった時に心臓病と診断された、沖田と並ぶ新選組二大病人。

心臓病と診断されて、除隊。同年11月17日、故郷にて病死。


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中村 金吾(?−?)

新選組草創期入隊。平隊士→先陣右翼→旗役
備中出身のナゾ多き隊士。
色んな事件に参加し、実績だけは平隊士のなかで一番。

そのおかげ(せい)か、永倉お気に入りだが、永倉と共に暗殺されそうになった。
とにかくひょうひょうとしており、常に冷静沈着。誰ともつるまないタイプだが、
尾関兄弟はよく気にかけてくれる。旗役にも任命された。

慶応三年、六月以前に離隊。突然、姿をくらます「一体、何者だったんだ彼は…」

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松原 忠司(?−1865)

文久三年五月入隊。四番隊隊長・柔術師範→平隊士
入隊時は二十代後半。播州小野藩出身だが、なんらかの理由で脱藩し、大坂で道場を開いていた。
その時に色んな道場で修業していた山崎と知り合う。一説によると山崎の手引きで入隊した。

山崎と近い歳で、お互い切磋琢磨する仲。仕事真面目。
目付きが悪く、坊主頭なので任侠と間違えられるが、本人はそれを気にしてなるべく笑顔を心がけてる。
「親切者は山南と松原」と言われていたほど、優しい性格で純粋。

慶応元年九月、失策で切腹とあるが、うちでは「壬生心中説」を採用。

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